Camp Prisma #15

Camp Prisma #15

9月26日(木)は久々に、「Camp Prisma#15:自分自身や他者とどのように向き合うか?」を開催。バージョンアップして帰ってきました!

今回は、現在進行中のプロジェクトをテーマに対話を行いました。

参加者は、テーマが教育に関することであったこともあり、プロジェクトメンバーに加え、日頃、教育現場に携わる方など9名のご参加でした。ご参加いただきました皆さま、ありがとうございました。

はじめに、プロジェクトの代表でもある菅沼先生から、これからの社会を形づくる主体的に考えることのできる人材づくりについて、そして今回のプロジェクト案を関係者に提示する中での周囲に反応と、ご自身の葛藤についてお話を頂きました(すみません、プロジェクトの詳細については割愛します)。

その後、ファシリテーターの山本さんが、菅沼先生の想いを掘り下げていく中で、”恐れ”というキーワードが表れました。それは、自分の意図が他者に受け入れられるのか、そして生徒に伝わるのかという主催者側の恐れと理解しました。しかしながら、対話を続けていくうちに、それはプロジェクトを受け取る側の”未知のものに対する恐れ”でもあることに展開していきました。そして、今回のプロジェクトの参加対象となる高校生に対しても、主催者側の想いが先に立つあまり、それを受け取る側の心のあり様まで十分に想いが及んでいなかったのではないか、という気づきもありました。

今回のプロジェクトを通じて、最も関心を持ってもらいたいと考える、社会に無関心な高校生に対して、「もっとモヤモヤを抱くべきだ」とか、「主体的に考えるべきだ」というメッセージを伝えようとしても、相手の心にその用意ができていないと、そのメッセージを受け取ることも出来ない。生徒は、必ずしも教員が思うように受けとめてくれるとは限らないということを共有しました。これは、日頃私自身が大学で感じていることにも共通する大きな問題でもありました。

であれば、その閉ざした心をどのように開いていくことができるのか? その問いに対して、参加者一人一人がどのように貢献できるかを考え言葉にしていく中で、これまでのプロジェクトとは明らかに違う方向性が見えてきました。

自分の提案内容や考えに十分な理解や賛同が得られないことは、よくあることだと思います。その事実をネガティブに捉えてしまうことも、これまたよくある話。そうすると、お互いに相手を批判するか、一方が他方を力でねじ伏せるか、力に屈するかということが起こりがちです。しかし、実はお互いに”恐れ”を感じていることが共有されたとき、それは相手への批判ではなく、相手の恐れをどのように解消していくことができるのかという視点に変わってくることを、今回の対話を通じて強く実感しました。また、心を閉ざす高校生に対して、あるべき論でぶつかっていくだけではなく、対話の中で出された”おもしろさ”というキーワードに象徴されるように、モヤモヤを求める代わりに、ワクワクを入口にしていくことで、心を開く新たなきっかけを創っていくことも大切ではないかとの意見がありました。

日頃、「アイデア」とか「価値創造」といった言葉をよく使いますが、実はそれほど簡単なものではありません。しかし、事実をしっかりと認識し、自分と相手の想いに注意深く寄り添うことで、今まで見えなかった想いが見えてくる。そこに辿り着くことで、初めて問題の本質という新たな景色が見えてくるとともに、その解決に至るアイデアが浮かび上がってくるのだと、改めて実感しました。

人は、長年の経験の中で社会に適応しようとして、少なからず自分の感情や想いを押さえ込んでしまうことがあります。そして、本質を突かれることに対して、相手を批判することで社会に”適応”した自分自身を正当化しようとする。でもその根本には、自分自身の良心を欺いていることへの恐れがあるのかも知れません。新たな価値を生み出すことは、もしかすると、自分自身の中にある”恐れ”に気づき、それと向き合う勇気を持つことなのではないかと感じました。

これまでのCampにおいて、NVC(非暴力コミュニケーション)や敵とのコラボレーションなど、様々なテーマで対話を行ってきました。実は、その中で得られた一つ一つ気づきが、実際の問題解決や価値創造の場面においてとても重要な役割を果たすということを身をもって感じることが出来たことは、私にとって貴重な経験となりました。

さあ、ここからプロジェクトの再スタートです。
どんな形になるのか楽しみです。

文責:佐藤文昭

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